日本のフォーク・シーン黎明期に“五つの赤い風船”でキャリアをスタート、その後、音楽活動のメインをフィンガースタイル(ソロ・アコースティック・ギター・インスト)にして、シーンの礎を築いた中川イサトが、2022年4月7日に逝去した。アコースティック・ギターの奏法や機材など、彼が開拓したことは計り知れない。日本のフォーク・シーンとフィンガースタイル・シーン両方において、かけがえのない存在だったのである。そんな彼を慕うアーティストが集い、追悼イベント“中川イサトとお茶の時間”が行なわれたのであった。
日本のフォーク・シーンとフィンガースタイル・シーン双方から中川イサトを慕うアーティストが一堂に会す
フォーク界からは大塚まさじや金森幸介、有山じゅんじなどの盟友たちが、フィンガースタイル界からはトップランナーにして直接の弟子であった岸部眞明&押尾コータローなどが集った。皆、思い思いに中川イサトとの思い出を語り、彼に捧げる曲を演奏していく。トップバッターは司会進行も務めるザビエル大村。後年のツアーをともにした大村は、中川のために作った「1310 Rag」を演奏する。中川の「六番町Rag」「かすていらのかをり」「OPUS 1310」などの一節をイントロや間奏などに盛り込んだ楽曲だ。SSW西沢和弥が加わり、中川が歌詞を和訳した「That’s old Lucky sun」を演奏。西沢ひとりで「500マイル」を歌い上げると、中川もよくこの曲を歌っていたのを思い出す。続いて下山亮平。彼も中川がツアーに連れてまわったフィンガースタイリストのひとりだ。自身の「Solitary Voyager」「With You」を。この2曲は中川のソロ楽曲を想起させるものがあり、下山のリスペクトの精神を感じた。
丸山ももたろうが中川を思って書いたインスト「砂の人」を演奏。武蔵野レビューでベーシストを努めた河合徹三が加わり、五つの赤い風船「まるで洪水のように」。さらに松田ari幸一がハーモニカで加わり、ラストショウ「Banjo Man」を演奏して第1部が終了した。
休憩中は、西岡たかし、小室等、こむろゆい&かわのしゅんじ、麻田浩、嘉門達夫のよるビデオコメントが流れる。長年の付き合いであるカメラマン糸川耀史の作品のスライドショーの時間では、中川の50年近い音楽活動を思い出させる写真がたくさん見られた。
そして第2部は、有山じゅんじとサビエル大村の「オレンジ」から。中川の初のフル・インスト・アルバム『1310』(1977年)に収録された中川と有山のデュオ作品で、中川は活動の中で何度もいろんなギタリストとこの曲を演奏した。有山&金森幸介、そして有山の奥方であるトコさんを交えて、「その気になれば」を披露。トコさんは実は中川の初ソロ作『お茶の時間』(1973年)の「その気になれば」にコーラスで参加していたのだった。3人で歌う姿にはグッとくるものがあった。
そして押尾コータローの登場。高校生の時に中川のギター教室に通い、この道に入った押尾にとって、中川はかけがえのない存在である。「Water Skipper」「六番町Rag」「WALTZ」の一節を弾きながら、中川との思い出を語る。「CHOTTO TROPICAL」「その気になれば」(エンディングでは「セブン・ブリッジ」の一節も)を演奏してステージを降りた。押尾の兄弟子に当たる岸部眞明はフィンガースタイル・シーンの中でも、一番長く中川とともに活動を続けたひとりと言えよう。中川に捧げた「Song for 1310」(2004年作)は、随所に中川の奏法や旋律が散りばめられており、岸部の師匠を思う気持ちが感じられた。
ここでビデオコメント第2弾。打田十紀夫、岡崎倫典、PETA、いとうたかお、茶木みやこ、中川五郎がイサトとの思い出を語った。
第3部は、村上律がバンジョーを手にして、“律とイサト”の「ダンラン」「飲んだくれ女」で幕を開ける。『鼻唄とお月さん』(1976年)にも参加した長田Taco和承は「悲しくさせないで」と高田渡「生活の柄」を。ボサ/ジャズ的な解釈のギター・ワークが印象的であった。そして、この日のハイライト、金森幸介&丸山ももたろうによる「もう引き返せない」。一番長く濃い付き合いをしたであろう金森は、ことあるごとにこの曲を中川と歌い、中川もことあるごとにこの曲をアルバムに収録したり、ライブでも演奏した。ミュージシャン同士以上の思いが金森にはあるように感じるのであった。最後は大塚まさじ&長田Taco和承&松田ari幸一による「今宵君と」でエンディングを迎える。この曲は前述の『鼻唄とお月さん』で大塚が歌ったもので、後年もさまざまなアレンジで歌われている名曲だ。
このライブは配信も行なわれていたため、最後のビデオコメントが会場にも流れた。世界のフィンガースタイル・シーンで慕われた中川に向けて、台湾のチア・ウェイ、ベルギーのジャック・ストッツェム、ドイツのピーター・フィンガー、アメリカのハッピー・トラウムから追悼の言葉が述べられた。これらのビデオコメントは、5th StreetのYouTubeチャンネルで見られるので未見の方はぜひ。
中川イサトがいなかったら、日本のアコースティック・ギター・シーンは現在とは確実に違うものになっていただろう。アコースティック・ギター・マガジンも、そしてこのアコギマガジンWEBなんていうのも生まれなかったかもしれない、とすると頭が下がる思いしかないのである。
写真・文:相川浩二(アコースティック・ギター・マガジン) 於:2022年7月17日@大阪5th Street